アデレードの文化
アデレードはしばしば"教会の街"と呼ばれるが、これは現在よりも過去の状態を反映した言い方である。噂によると、アデレードに建てられたすべての教会ごとに、あまり信心深くない人のためのパブも建てられたそうである。
初期の頃から、アデレードは多くの国の移民を引き付け、特にドイツ系の移民が宗教的な迫害から逃れて来ている。彼らはブドウの木を持ち込み、後にバロッサバレーの優れたワイナリーを生み出す基礎となった。第二次世界大戦後、イタリア人、ギリシア人、オランダ人、ポーランド人、その他多くのヨーロッパ人が新しいスタートを切るためにやってきた。ベトナム戦争後は、アジアからの移民が相継ぎ、民族構成がより多様化した。これらの文化は混ざり合い、より豊かで多様な料理や活気に満ちたレストランの文化を作り出した。
アデレードの周辺地域の多くは、かつてワイン用のブドウの生産地であったため、ワインの生産地域(例えばバロッサバレー)はアデレードの郊外に存在している。
アデレードの文化生活は州知事ドン・ダンスタンのリーダーシップの元、1970年代に花開いた。彼は文化的活動において、よりピューリタン的な制限を取り除いたが、やがてそれはオーストラリア全体へ広まっていった。現在、アデレードはバロッサ音楽祭、アデレード芸術祭、アデレード映画祭、アデレード・フリンジ・フェスティヴァルなどのイベントの開催地である。オーストラリア最大のワールドミュージックのイベントの Womadelaide(WOMAD, World of Music, Arts and Dance, フェスティバルと Adelaide をかけたもの)が年一回、植物公園の素晴らしい環境の中で開催される。これは、ドン・ダンスタンの時代からアデレードが芸術へ力を入れて来たことをよく表している。
参照元:Wikipedia「アデレード」
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